四国の城巡り (2026/5/25)

 

 

現存天守は12個所にとどまる。名古屋城、岡山城、広島城といった大きなお城は、太平洋戦争中の爆撃で破壊されてしまった。本州の大都市と異なり、四国のお城は相対的に空襲にさらされることが少なかった。もちろん全くなかったというわけでなく、松山城や高知城の櫓や門は爆撃で破壊されたが、天守が焼かれることはなかった。

 

今回、丸亀城には行かなかったが、松山、高知、宇和島、そして大洲にある城を訪ねてみた。

 

松山城

 

1602年に築城が開始された城は1784年に落雷で天守を含む本壇の主な建物を焼失した。現在の天守は江戸末期に再建されたものである。姫路城と同じ連立式の城で、21棟の建築物が現存する。大規模な素晴らしい城である。

 

天守は標高132mの山頂にあり、登り口から歩くと2030分ほどの山登りになるものの、石垣を見ながら登るのはなかなか楽しい。

 

 

 

高知城

 

「山内一豊の妻」のお話しで有名な一豊が1601年に築城を開始し、1611年に完成した。当初の建物は1727年に城下で発生した大火災によりほとんどを焼失し、現存天守は1747年に建てられた。天守や本丸御殿を始めとする本丸の建物群がすべて残っているのはここだけである。

 

 

 

宇和島城

 

標高73mの山上に建てられた梯郭式の平山城である。当初、藤堂高虎によって作られた城であるが、現存するものは宇和島伊達家によって改修された/1。明治以降、大半の建物が撤去され、天守や追手門などが残されたものの、追手門は戦時中の空襲で焼失した。

 

 

大洲城

 

明治の廃城令で城の建物のほとんどが棄却されたが、地元住民の活動で天守と櫓は一部保存された。しかし、その天守も老朽化により1888年に取り壊され、今あるものは2004年に木造で復元された建物である。天守はレプリカであるが、四つの櫓(台所櫓、高欄櫓、苧綿櫓、三の丸南隅櫓)は解体されず残り、重要文化財に指定されている。

 

面白いのはこの大洲城天守で宿泊することができることだろう。季節限定/2で一日一組だけの宿泊である。贅を尽くした朝食夕食付きのお値段は2名利用で132万円、6名ならば1848000円とある。ただ泊まるだけでなく、鉄砲隊の火縄銃でのお迎えや隣接する高欄櫓での月見酒など、様々なプログラムが組み込まれている。案内の方のお話しでは、年に2030組ほどの宿泊があるという。

 

 

 

 

/1     高虎が今治に転封となり、奥州仙台藩主伊達政宗の長子秀宗が宇和郡10万石を賜り、1615年に入城した。

/2     8月と12月~2月を除く季節限定。

 

 

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