青森 お城とねぶた (2026/10/1)
青森観光はこれが初めてである。その昔、仕事で下北半島に行った際に青森空港を使ったことが一度あったが、単に通過したに過ぎない。歴史好きの私にとって、三内丸山遺跡と弘前城は一度訪れるべき所であり、ねぶたの山車も見てみたかった。
三内丸山遺跡
三内丸山遺跡の本格的な発掘調査が始まったのは1990年代に入ってからのことである。私が学校で日本史を習った当時、その存在は記されていなかった。資料によれば、約5900-4200年前の縄文時代の大規模集落と推定される。ざっと1700年にわたってここに人々が住み、独特の文化を育んだ。1700年といえば、ヤマト時代から現在に至るまでの時の流れに相当する。
集落の造りでちょっと面白いのは、お墓が日常生活の範囲内、道端の脇に作られている点であろう。弥生時代の吉野ヶ里遺跡ではお墓は一個所に纏められ、生活から隔てられた場所に存在する。一方、縄文時代にはお墓が日常生活と共存し、こちらの世界とあちらの世界、つまり冥界との距離が近かった。
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道に沿って並ぶ環状配石墓。これまでに30基ほどが見つかった。墓には死者が集団埋葬されている。 |
掘立柱建物。残っているのは柱穴なので、高床式の建物として復元したのは、あくまでも推測に基づく。 |
六本柱建物。柱穴には直径1mの栗の柱が残っていた。 |
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大型竪穴建物。冬場の共同作業に使われたと推測。 |
大型竪穴建物の内部構造 |
弘前城
現存天守の一つに数えられる弘前城は、現在、天守台の修復工事中にある。天守は天守台から曳家され、隣の広場に鎮座する。現在、写真の通り天守台ではなく鋼材の上に置かれているので少々迫力に欠けるが、致し方なかろう。この11月には天守台に戻されるものの、その後、さらに天守の保存修理・耐震補強等の工事が続く。内部が公開されるのは7年後になるとのことである。
ちなみにこの弘前城(弘前公園)は桜の名所として有名である。開花は4月中旬と、関東よりひと月くらい遅れる。
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天守。自重400tの建造物を曳家した。 |
追手門 |
二の丸丑寅櫓 |
ねぶた
青森市のねぶたがよく知られるが、ねぶたと呼ばれる夏祭りは青森県の各地に見られる。弘前では「ねぶた」ではなく「ねぷた」と呼び、五所川原では「佞武多」と漢字を当てる。
青森ねぶた(人形ねぶた)では、幅約9m、高さ約5mの迫力ある立体的な山車が街を練り歩く。衣裳をまとう跳人がラッセラー、ラッセラーの掛け声とともに踊り舞い、囃子方が太鼓を叩き、手振り鉦を鳴らし、そして笛を吹くことで祭りを一気に盛り上げる。規模の大きさと、その熱量は各地のねぶたの中でも恐らく最大だろう。
弘前ねぷた(扇ねぷた)は、青森ねぶたほどの派手がなく、跳人が飛び跳ねることもない。これは、弘前は津軽のお殿様のお膝元だったので、羽目を外すことを控えたからという。
五所川原立佞武多は高さ20メートル以上、重さ16トンという巨大なもので、一台の山車としては最も迫力がある。明治の頃までは、高さを競うことで、どんどん大きくなったという。しかし、電化により市内に配電線が張り巡らされたことで、ねぶたは小型化した。現在のものは、平成8年に有志がかつての高さ15間(約27メートル)に及ぶ巨大ねぶたを再現したことが始まりで、平成10年からは、運行経路となる路上の電灯線、電話線を整理し、市民総ぐるみの夏祭りとなった。
この巨大な立佞武多は製作に費やす労力もコストもかかることから、三体を三年ごとに作り直し、祭りに繰り出す。現在ある作品は立佞武多の館に展示されている。
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青森ねぶた |
弘前ねぷた |
五所川原立佞武多 |